赤に焦がれた




そろそろ風が冷たくなってきた。もうどれくらい、ここに立っているだろうか。 傾き始めたばかりだった太陽は、地平線に半分沈んで世界を照らしている。 朱を帯びた光に眼下の水面が赤く染まる。「血の池みたい」と呟いた言葉に、 昔イタチは「血の池など、綺麗なものではないだろう」と返した。
そう、綺麗なものではない。沈む太陽も、通り抜ける風も、波紋が走る水面も、舞い落ちる木の葉も。 夜空に浮かぶ月も、世界を包む闇も、月光に煌めく刃も、降り注ぐ血も。
世界に綺麗なものなんて、果たしてあるだろうか。



「…少なくとも一つ」



勾玉を浮かべた紅い瞳は、今も昔も変わらず綺麗だと思っている。 そのことに触れるのを、イタチは少し嫌がっていたけれど。
血のように紅い瞳で、最後に何が見えた?洗い落とせない鮮血に染まった手で、終わりの前に何が掴めた? 何かに逆らって抗って、迎えた結末は貴方の望んでいたものだった?
――今となっては、何もわからない。 何を見ていたのか何を求めていたのか何を思っていたのか何をしたかったのか。



「昔はそんなこと、なかったのにね」



それとも、あの頃からすでに違っていたのだろうか。
分かり合えていたと思うのは私の幻想なのだろうか。
それも、今となっては――



「なにも、わからない」



ひゅう、と冷たい風が吹く。外気に晒されている肌が熱を奪われて、少しずつ体温が低下していく。 太陽はもう、遠く地平線の彼方に沈んでしまった。まだ僅かに明るい西の空とは対照的に、 東の方から徐々に暗い夜の浸食が進んでいる。 視線を落として水面を見遣ると、黒々とした表面に何かの抵抗のように残光を反射させている。
赤い光は、太陽と共に何処かへ消え去ってしまった。



「…何処へ行けば、会えるかな」



赤い光に、紅い瞳に。
残光をかき消すように吹いた風に、微かに血が香る。また誰かが醜く踊っているのだろうか。
研ぎ澄まされた刃も、身体から溢れ出る血も、青白い死に顔も、そんなの綺麗なんかじゃないよ。



「だから、ね。イタチに殺して欲しかったんだよ」



イタチを感じながら、眠るように死ねるから。
でもきっと、血に塗れたイタチも綺麗なんだと思うよ。










赤に焦がれて、

けど届かなかった。



ざわりざわりと木の葉が擦れ合う音を聞きながら、世界が闇に落ちるのを眺めていた。





08/3/26