ピンポーン、とありきたりなチャイムの音が響く。 玄関の扉を開ける前から、訪ねて来たのは誰だか分かっていた。 それは予知能力でも何でもなく、ただ第三者から板を一枚挟んだ向こう側にいる彼が 私の元を訪れるだろうという連絡を事前に受けていたというだけのこと。 そしてその彼女の予測が的中した、それだけ。――最も彼女が間違えるというのはありえない話だが。
いつもなら鍵を破壊して入ってくる彼が大人しく扉が開かれるのを待っているという怪奇現象にも近い事態に、 苦虫を噛み潰したような気持ちになる。唇から自然とため息が零れ落ちた。
扉を開いた先には、見慣れた白装束の男。


「…やあ。上がっても良いかな?」
「……いつも無断で上がり込んで散々荒らし回って勝手に帰るくせに」


呟くと、彼は苦笑した。―――嗚呼、違う。
そんな顔を見たいわけじゃない、そんな、身寄りのない子供のような顔を。
ぎりり、と軋む。(たとえば世界が崩壊するような感覚)
こうなることは分かっていたけれど、こうなることを望んでいたわけじゃなかった。


「…上がれば」


背を向けると、僅かな靴音が聞こえた。今にもかき消えそうなくらいの小さな音が。





紅茶を入れたカップを持って部屋に戻ると、ここでも大人しく彼はソファに腰掛けていた。 淡いグリーンのレンズを通してこちらを捉えた目は、いつものように無情であって欲しかったのに。
哀情と、懇願と、疲弊と絶望と虚無が、小さく小さく、 いつもにやにやと笑っている目に、いつも笑っていない目の奥に、ちりちりと燻っていた。
再び漏れそうになるため息を無理やり押しとどめてカップを差し出す。


「ん」
「ありがとう」


受け取って、素直に一口飲み下した。けれど次の動作でカップは机に置かれる。
きっと、明日の朝までそのままで捨て置かれるのだろうな、と頭の片隅でどうでも良いことを考えた。
そうしないと、堪えられない。彼女のことにも、それ以上に―――彼のことに。
(それはつまり、彼女よりも彼が大切だということだろうか。)
きっと彼はぎりぎりのところにいる。
いっそのこと壊れてしまえば楽なのに。壊してしまえば楽なのに。
理性がそれを許さない、それとも―――、私が――?
私が引き留めているのだろうか縋っているのだろうか。(私が彼を縛っているのか)
それでも彼は私如き、冷酷に冷徹に無慈悲に無感動に、 完膚無きまでに壊し尽くしてそしてそのことに一縷の後悔も感傷も、 微塵の情けも所思も記憶すら残さずどこまでも残忍に非情に生きていけるだろう。


彼にとっては彼女が全てだったのだから。(私にとっては――?)



「……



その唇が紡ぎたい名は別にある。(けれど。それでもいいと、思ってしまった)


自分の紅茶を半分残したカップを置き、顔を向けると同じタイミングで緩く肩を押される。
一拍おいて、感じるのはソファの布地に身体が当たって沈み込む感触と、僅かな弾力。
彼の白い髪が頬に触れて滑り落ち、顔を挟むように着かれた白い手袋を嵌めた手の、 片方が持ち上がって右頬を撫でられた。 数十センチの距離にある彼の顔が歪な笑みを形作り、グリーンのレンズ越しに視線がかち合う。


「…君を、利用したいと言ったら、怒るかい?」


言葉の意味はわかっている。
意味することを知っている、意味していることを解っている。
きりり、と締め付けられる。(たとえば神が消え去る感覚)
こうなることは分かっていたけれど、こうなることを望んでいたわけじゃなかった。


「――見逃してあげる」(見逃してください)


今だけは。

小さな呟きは、触れ合った唇の間で消えた。







「…垓輔」



――ねえ。
ただの慰めにしかならないって、明日の朝になったら、冷めた紅茶を片付ける頃にはきっとまた、 虚しさと哀しさの中にいるって、この行為に本当は意味がないんだって、だけど、私も貴方も、 それでも認めたくないんだって、理解したくないんだって、信じたくないんだって、
ただ、ただただ、ただただただ、ただただただただ、ひたすらに、逃げているだけなんだって。



「がい、すけ」



それでも私は貴方を愛しているって、ねえ、知らなくてもわからなくても良いから。
ただ秘かに想うことだけは、許してください。(ゆるしてください、デッドブルー)



「あいして、るよ」



―――嗚呼、違う。
そんな顔を見たいわけじゃない、そんな、神様はいないと悟ってしまった子供のような顔を。










(たとえにしてはあまりに皮肉)

(だって、ねえ、)





(   神はもういない   )



(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)

  ―――――(デッドブルー、デッドブルー、どうして我等を、捨て行かれるのですか)












07/07/26→08/01/21
(時期的にはチーム解散直後。文体を戯言風にしようとして失敗したという。)




















そう、それはかみさまのいろ