真夜中に目が覚めた。
意識があるということを認識するのに暫くかかり、数秒を経てやっと頭が鈍足ながら回り始める。 布団に埋もれたまま手探りで携帯を引き寄せ時間を確認する。 サイドキーを押して表示された数字は「0248」。 仕事を片付けてベッドに入ったのが零時過ぎ。三時間弱、と寝惚けながらも理解した。
のそりと起き上がって、どうやら眠りを妨げたのは喉の渇きだと判断する。 水でも何でも良いから飲もう、と部屋を出たところでリビングからの雑音に気が付いた。 静かに扉を閉めたところで立ち止まって耳をすませる。 微かに聞こえるのは高低入り交じった話し声、効果音や楽曲の一部。 テレビの音だろうと当たりをつけ、じゃあ帰ってるのか、とそちらに足を向けた。




「シズ」
「…あ?」


明かりの点けられていないリビングで、同居人はトマトサンドを片手に振り返った。 いつものサングラスは机の上、コンビニの白い袋の隣に置き去られていて、 生の視線同士がかちりとぶつかる。振り向いた顔に、テレビの色が淡く映った。


「お帰り」
「あぁ、……ただいま」
「起こしてくれたら何か作ったのに」
「いや、熟睡してたし。悪ぃだろ」
「…そ」


ちらりとテレビに目を遣って、 「起こしたか?」と少しばかり申し訳なさそうに問う静雄に軽く首を振りながら隣に腰を下ろした。 耳に入る笑い声が不愉快で消音にしたテレビには、どうでも良さそうな人間ばかり映っている。
数年前は人気絶頂だった芸人。端役ばかりの売れない女優。 取って付けたようなキャラ立ちの自称アイドル歌手。 司会すら山ほど換えがいる、安っぽい深夜の無駄番組。
人形たちの口パクを眺めながら、はぐ、と静雄がサンドイッチを囓る。 そういえば何か飲み物を求めて来たのだと、それを見て思い出した。 ただ今更立ち上がるのも面倒なので、目の前のペットボトルのお茶を求めて、 くいくい、と静雄のシャツの袖口を引っ張る。


「シズ、それ、ちょっともらっていい?」
「あぁ…、いいぞ。好きにしろ」
「ありがと」


一口二口、飲み下したお茶の味は特に可もなく不可もなく。 乾きが癒えれば気にすることでもないけれど。
ことん、とテーブルにボトルを戻したあと、一息吐いて肌寒さを覚えた。
季節は春とは言ってもまだ気温は低く、 数分前までベッドでぬくぬくと眠りについていた身としては、 真夜中のリビングは快適な温度とは言い難い。 どうするか一応考えてみるものの迷うまでもなく、 拳一つ分ぐらいの隙間を詰めて静雄に引っ付いた。 投げ出されている手を取って、腕を抱くように二の腕に頬をつけて身体を密着させる。 布二枚越しにじわりと温かさが伝わって、きっと顔が緩んだ。 ふわりと静雄の匂いといつもの煙草が香る。――あ、幸せ。


「……」
「…?」


視線を感じて目を上げると静雄が無言で見下ろしている。 抱いた腕を動かしたので素直に解放すると、その手はお茶に伸びた。 どうやらトマトサンドは食べ終えたらしい。
残り少ないお茶のボトルを片手にいるか?と目で問う彼に首を振って、 それを飲み干すのを、ごくんと喉が動くのまで眺める。…変態くさい?いや気のせい。
ゴミを片付けて腰を落ち着けるのを待って、横から抱きついた。 ぽんぽん、と身を寄せた逆側の手が頭を撫でる。――うん、幸せ。


「…
「んー?」
「……」
「…シズ?」


呼びかけて続けない静雄に閉じていた目を開く。 頬を擦りつけたまま顔を見上げると、少しばかり複雑そうな表情をしている。 私何かした?と視線で問い掛けるも躊躇うように目が泳ぐだけ。
え、抱きつかれるの嫌だった?
少し不安になって腕の力を緩め、 心残りはあるもののそろそろと身を離しかけたところでようやく口が開かれた。


「…あのよぉ」
「…うん」
「違ったら何か、すげえ馬鹿みてぇなんだが」
「うん」
「あー…」
「……」


散々迷って、かしかしと頭を掻いて決心したというより諦めたように静雄は言った。


「…誘ってんのか?」
「…うん?」


少し身を引いたとはいえ、まだ寄り添った体勢のままで考えた。
静雄は仕事着だけれどもこっちは寝起きで、下はジャージで上は綿のシャツ。 加えて、履いてるけど着けてない。 うん、決して厚くはない布二枚越しに胸当たってたんだろうね成る程。 大きいわけでもないけど、それなりにはあるもの、それなりには。
別に誘ってた、わけでも、ないけれど。


「ん…。そう取っても、いい、よ」


今度は意図的に押しつけてみる。 ぴく、と反応した身体に引っ付いて、抱きついて、目を閉じてキスを待った。 微かに戸惑っている空気を感じながらもそのままでいると、頬に手が触れる。 力加減に過敏になって、物足りないほど優しい口づけ。 すぐに離れた唇を、精一杯身体を伸ばして追いかけて、 踏ん切りがつかずに揺れる瞳を見上げてその先を強請った。


「好き、静雄」


据え膳食わぬは男の恥、なんて言うけれど、据え膳じゃなくたって食べちゃって!






とある一夜の恋人たち


ソファに沈み込みながら、リモコンに手を伸ばしてテレビを切る。
ばいばい人形、さよなら世界、もう静雄しか見えないの。





10/03/27