「まぁ、そうだよねえ。私もちょっと怖いし」

半ば苦笑気味に言って、彼女はそれを承諾した。
髪を切ってくれないか、と少し改まって頼んだシスターは、 未だにラストサムライの散髪には慣れていない。




「全体軽く梳いて、短くするだけでいい?」
「あぁ。…すまん」
「いえいえ」

椅子に座らせたシスターの髪を櫛で梳きながら、は幾度目かの謝罪に微苦笑した。 櫛を鋏に持ち替え、しゃきんと音を鳴らすとやはり僅かに肩が強張る。 鋏でこれなのだから、ラストサムライの日本刀はかなりのプレッシャーだろう。 自らの体験を振り返り、 彼の手腕は信用しているものの高速で顔近くを往復する刀に反応しないよう、 長年の戦闘経験から培われた反射神経を抑え込むのにはかなりの労力が必要だったと、 もまた微かに身を固くした。
張り詰めた神経をほぐすために一度目を閉じ、息を吐く。 余分な力を抜いてシスターの髪に指を差し入れたところで、彼が言葉を発した。

「そういえば、」
「ん?」
「髪は、もう伸ばさないのか?」

しゃきん、と鋏を閉じた状態では一瞬静止した。
ぱらりと断たれた髪が地に落ちるときには再び彼女の指は金糸を掻き分けていたが、 シスターがそれに気づかなかったことはないだろう。 触れてはいけなかったかと内心戸惑い、言葉を探して気まずく沈黙する彼の毛先を揃えながら、 は何事もなかったかのように不自然な沈黙を埋めた。 鋏の開閉音がどこか冷たく響く。

「うん、…そうだね。短い方が楽だし」
「…そう、か」
「確かに、昔は長かったけどねー」

茶化すように明るく言い、彼の髪と共に湧き上がった感情を切る。 断ち切るのが鋏なのは皮肉かと、愚かさを自覚しつつも卑屈になってしまう。
彼の恋人であったときのように長く伸ばさないのは、 今の「彼女」が長いからなのかどうかはには分からない。 シスターよりも少し長く、あの頃の「彼女」よりはほんの少し短い母譲りのプラチナブロンドを、 は決して嫌いではなかった筈なのに。
髪も目も元々好きで、綺麗だと、好きだと言ってもらえてもっと好きになれた。 幸せだった頃の甘酸っぱい感情が、今にもたらすのは何だろう。
鋏の音が少し鈍った気がした。

「短いの似合ってない?」
「いや、そんなことはない」
「そ。…シスターは長い方が好き?」
「む…。あまり、考えたことはないな」
「まぁ、人によりけり、か」

耳に当たらないように注意して鋏を扱っていると、横顔の視線がに向いた。 気にはなるが、意識しないようにして作業を続ける。
前髪を切ろうと向かい合って立ったところで、当たり前だが真っ向から視線がぶつかった。 長身のシスターは椅子に座ってもやはり頭の位置は高く、 がさほど屈めていなかった腰を伸ばしたところで見上げるというほどの差にはならない。
暫く双方無言で相対したところで、先に動いたのはだった。 腰に鋏を持った手を当て、ため息を吐く。 逆の手を額に当てたため容姿も相まってかなり様になった。

「あー…。どうしようもない警戒心は分かる。分かるよ? 私だって嫌だと思う」
「うむ」
「分かるけどやりにくい。目、閉じて。髪の毛入るし」
「……」
「シスター」
「……」
「…刺すよ?」
「すまん」

やっと目を閉じたシスターにやれやれともう一度嘆息し、は鋏ではなくまず櫛を入れた。 さらさらと流れる髪の間から見える顔に、美形なんだよなぁと少し拗ねる。
傷があっても遜色ないし、背高いし、料理上手いし、面倒見も良いし。
脳内で長所を挙げ、最後にそれを打ち消すようにはこう考えた。
――まぁ、女装癖とストーカー気質が無ければ、…ね。
読心術でも使えるのかそこでシスターが少し目を開いたが、に睨まれすぐに閉じた。
彼を日常的にこうもぞんざいに扱えるのは、彼女とマリアぐらいだと誰かは言う。 付き合い長いしね、と軽く返した言葉はにとっては重みを持っていた。 ただ長いだけではなく、それなりの密度がある。 少なくとも、本能的なまでのシスターの警戒心を抑えてその髪に触れ、刃物を入れられる程度には。
ぱらぱらと断たれた毛先がシスターの頬を滑る。 それをなんとなく目で追いながら、はふと、 この体勢が口づけを交わすかのような構図であることに気づいてしまった。 意識してみればかなり近い距離にシスターの顔がある。 その上、が厳命したのだが瞼を閉じ、見かけ上は無防備にさえ見える。 あぁやってしまったと、自覚したことに対してなのかこの状況を作り上げたことに対してなのか、 は密かに顔を顰めた。

「…どうかしたのか?」

本当に目を閉じてるのか、それともやはり読心術を使えるのかと疑いたくなるようなタイミングで シスターがに声を掛けた。すぅ、と険しい顔のまま彼女は目を細めるが、 手指はそのまま作業を続ける。きっと気配だ、空気が少し変わったからと自分に言い聞かせながら。
前髪に通した指から数センチのところの唇が動き、温かい吐息が肌を撫でた。

?」
「黙って。口に入る」
「……」

仕方なしにという風に口を閉じたシスターに文句の一つでも言ってやりたい。 どうしてそこまで無防備に、無垢な信頼を向けられるのか。
一度裏切られた人間は、良くも悪くも無意識に警戒するようになる。 それなのに、に対するシスターの態度は昔と――まだ「彼女」と出会う前、 二人が生温いじゃれ合いを楽しんでいた頃と変わりがない。
どうして、と口には出さずに問い掛ける。
どうしてそんなに優しいの。そんな風に甘やかされると、 まるで、あの頃と何一つ変わっていないかのように――錯覚が――なのに――



「……」

頬に添えられた手は温かくて、青の瞳も変わってはいなくて。
気遣わしげな表情に、この感情をどう伝えていいか分からなくて。
いつものように、彼女は笑って誤魔化した。それしか術を知らないのだから。

「なぁに?」
「いや…、なんとなくだが」

辛そうに見えた。
見えたわけではないだろうに、シスターはそう言った。
それがを追い詰める。ぶちまけてしまえと心がざわめく。
この関係に終止符を、中途半端に決着を、ぬるま湯に決別を。
――だけれども、そんなこと、弱った彼女にできる筈もなかった。

「…羨ましいなぁって」
「…羨ましい?」

さらりと髪に指を通す。するりと逃れた毛先をそれ以上追うことはせずに、 はシスターの目を見て笑った。 あぁ、あの頃の「彼女」と同じ笑い方だと彼が思ったことなど知らずに。

「その髪、好きではなかったのか?」
「ん? 好きだよ?」

母親の遺伝だと言った、 透き通るプラチナブロンドを褒めたときの彼女は本当に嬉しそうに笑った。 純粋無垢な笑顔、あれを見ることはもうできないのだろうか。
得たものもあるが、失くしたものも多い。
のものとは質が違う自身の金髪に指を通して、シスターはほんの少し、過去を思った。

「長さ、それぐらいで良い?」
「…あぁ、そうだな。すまん。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」

髪はもう伸ばさないのだろうか。
櫛や鋏を片付けるの後ろ姿を見ながら、シスターはもう一度考えた。




   髪を切った話


(…貴女…、髪、切ったのね)
(うん。マリアは伸びたね)

は笑ったが、彼女は笑わなかった。





10/11/03
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