「……?」
呼ばれた名前に呼ぶ声に、逃げ出したくなる。
蹲って目を閉じて耳を塞いで唇を噛み締めれば、世界を遮断することができるだろうか。
考える反面、たとえ何をしたところで彼の姿は思い浮かぶのだろう彼の声は届いてしまうのだろう
彼の存在を感じてしまうのだろう、そう諦めにも似た感情と共に思う。
ずっと忘れようとしていた。禁忌の感情を捨てようとしていた。
けれどそれは消えなくて、今も、一目見ただけで泣きそうな程の感傷。
メタナイトは昔と変わらず仮面を付けていて、表情が窺えない代わりに読み取れるようになった
仮面の奥の瞳が、驚愕と困惑と、嗚呼、僅かな嫌疑を滲ませていて。
私は今どんな顔をしてる?昔と変わらない?それとも笑ってる?もしかして泣きそう?
どんな風であっても、せめて今だけはこの瞬間だけは、あなたに愛してもらえた“”で
ありたい。私がもうじゃなくても、本当は彼と見(まみ)える資格なんてなくても、
許されない罪を犯したのだとしても。
「ひさし…ぶり、…メタナイト。変わんない…、ね」
「…なぜ、ここに、そなたが…?」
「メタナイト卿?」と彼と共にいる少女が呟くようにメタナイトに呼びかけた。少女の隣の少年は、
露骨な警戒の表情を私に向けている。そんな中で、この場に不釣り合いな青い瞳の幼い子供だけが
無垢な目で私を見上げる。
あの子の名前はなんと言うのだろう。「星の戦士として」忠告なんて
できないけれどそれでも、次世代の生誕に祝福を、幼い命に慈愛を、それくらいは許して欲しい。
見つめる視線に気づいて、少し首を傾げた。何か言いたくて、けれど言葉にできない、そんな表情で
必死に何かを伝えようと思考を巡らすまだ幼い彼に笑みが洩れた。あと数年すれば立派な戦士に
なるだろう彼の成長を、見届けられないのが残念で。けれどメタナイトがいるのならきっと心配は
いらない。
世界に未練なんてないと思っていた。こんな残酷で惨憺なところに、執心する理由はないと。だけど
そんな絶望さえも、彼の前では無に等しくて。正義を誓った彼の真っ直ぐな瞳に焦がれた。その結果が
どんなものであろうと、自己を貫き通すその背中に惹かれた。今となっては、淡い想いはただ私と彼を
隔てる壁を強調するだけに過ぎなくて、それならばいっそ、忘れてしまった方が良かったのかも
しれない。それでも好きになって良かったと思えるのは、泣きたいくらいの彼への愛しさ。
ねえ、メタナイト、こんな気持ちを教えてくれてありがとう。
「…。この辺りで、魔獣たちが害を為していると聞いた」
「うん。…知ってるよ」
今も木々の間からこちらを窺っている。手を出して来ないのは、私がいるから。
そのことに安心して、同時に嫌気がさす。お前はこちら側だと言われているようで。
ざわざわと、揺れた葉陰に気配を感じ取ったのか、警戒するように身を固くした。
右手が剣の柄に触れる。
…まずいなぁ。ぼんやりとそう思った。ここで争うことはできれば避けたい。そのためにはあれ以上
こちら側に踏み込まないように、境界線を遵守しなければならない。けれど、疑いはすれど、
メタナイトはきっと私を仲間だと思っている。共に戦った同志だと。その推測に、置いてきた筈の
やわい心が痛んだ。ごめんなさいと、告げることは許されるだろうか。
「…」
「ストップ」
踏み出そうとしたメタナイトに制止を呼びかける。ぴく、と動きを止めた彼を見ながら、まだ少し
考える。伝えなければならないことはいくつかある。それを、穏便に伝えて静かに帰ってもらうには
どうすれば良いか。彼らをこちらに踏み込ませることなく。
茂みから、急かすような唸り声が上がった。距離的に、僅かに向こうには届いていない。心中で
安堵し、早急に取捨選択を行う。――伝えること、秘めること。いくらかの傷とある程度の痛みは
覚悟しなければならないだろう。もとより、今の立場を選んだときに決めたこと。
貴方と共に歩むことはもうできないのだと、どうすれば一番良い方法で伝えられるだろうか。
「…三日前。麓の村で犠牲者が出たね」
「…あぁ。山で魔獣に襲われ、なんとか逃げ帰って来たそうだ」
「その後は?」
「……昨夜、亡くなられた」
「そう。――自業自得だよ」
単刀直入に告げた言葉に、聡明そうな少女が何を言っているのかと言いたげに私を睨め付けた。
メタナイトの雰囲気も固くなり、ただ幼い戦士と傍らの少年だけが、話に付いていけないのか
ちらちらと交互に私とメタナイトや少女を見ている。背後でまた、今度は同調するかのように獣が
唸った。
それが聞こえたのだろう、ぴり、と空気に緊張が走る。僅かではあるけれども殺気すら混じった
それは周囲に、そして私にさえも向けられる。左腰、コートに隠すように吊り下げたノクターンが、
柄を握り込まれたギャラクシアに同調するかのように震えを帯びた。それは果たして嘆きか、
それとも戦慄か。
ざわりと、獣たちが猛る。一歩でも境界を侵せば、すぐにでも噛み殺してやると気配が伝える。
それに気づかないふりをして続けた。
「村人から何を聞いたか知らないけど、…協定があってさ。
境界線を決めて、そこから先は踏み込まないように。それを破れば命はないと」
「ならば――」
「そう。あの人は領域を越えた。縄張りを侵す者に容赦はしないよ」
「けど…ッ、あの人には事情があったのよ!子供が病気で、どうしても薬草が必要で…!」
「――だから?」
「え…、だから、って、」
「警告はしたよ。害意がなくとも、特例は認められない。それ以上進むようなら敵と見なすと」
「――」
割って入った少女が、感情のままに歩み出た。メタナイトの横を抜け、一歩を踏み出す。――ああ、
まずったなぁ。
刹那、魔獣が少女に飛び掛かるのと、メタナイトが彼女の腕を掴んで引き寄せるのと、私が割って
入ったのは同時。地面に突き立てたノクターンに、恐れず牙を剥きだした巨体は突っ込んできた。
剣の腹と獣の額が激突し、衝撃で土が跳ねる。少年と幼い戦士は声を上げて飛びずさり、メタナイトは
引き抜いたギャラクシアを構えけれど攻撃には至れず、彼に抱えられた少女は血の気を失った顔で、
ひ、と息を呑んだ。
それらを視界の隅に収めながら、押し切ろうと前足を踏ん張る彼に声を掛ける。名前を呼んで
宥めると、二度目で目を向け、三度目で力を抜き、四度目でやっと後退した。私が立っていた位置まで
下がり、けれどそれ以上は認めないという風に身を震わせる。そこが限界だろうと見切りをつけ、
ノクターンを鞘に収めた。メタナイトは未だ警戒を解かず、ギャラクシアを片手に子供たちを後に
下がらせている。震えながらも二人を庇おうとしている少女に軽く嘆息して言った。
「二度目はないよ」
ぴくりと反応して、唇を噛み締めた。どうしようか、とそこから目を逸らして思う。
せっかく核心には触れずに丸め込もうとしてたのに。魔獣を制御した以上、きっともう誤魔化せない。
慰めるように、背後の獣が身をすり寄せた。頭を撫で、喉元をくすぐりながら暫くメタナイトと
視線を交わす。
…どうしようもないなぁ。諦めに似た感情でそう思った。もういいや、とも。偽るのにも疲れてきた。
どうせいつかは白日の下に晒されるのだろう、どれだけ隠したところで。
くぅ、と隣で鼻が鳴る。温かな生き物の鼓動が伝わる。そう――、今私の傍にいるのは彼らではなく
この子たちなのだと。それはそれで構わないと思うのは逃げだろうか。
誰に何を言われようと、あの時温もりを分け与えてくれたのは正義の戦士たちではなく不器用な
獣たちなのだから。
「…メタナイト」
ごめんね。
呟いた言葉に彼は戸惑いを見せた。きっとまだ、断定できないのだろうと思う。私が立っているのは
敵側だけれど、意思は共にあると、そう思いたいのだろう。――本当は私もそうしたかったよ。
けれど
「もう…、戻れないから」
許されはしないのだから
「ごめん」
例え差し伸べてくれたとしても、貴方の手を取る資格なんてもうない
「隣には立てない」
とてもとても会いたかったけれど
「私、」
本当は二度と会いたくなかったよ
「混血なんだ、って、さ」
ばさりと背に広げた翼に、メタナイトが目を見開くのがわかった。
闇を切り取った黒翼と、暁を映した赤目――戦士たちにはないもの、紛れもない魔獣の証。
飛び立つ寸前、浮かべた笑みは歪な形をしていなかっただろうか。
そうしてわたしは地に堕ちる
羽ばたく漆黒の翼が見えなくなってからやっと、自分を取り戻すことができた。
息を吐き、吸って、空から視線を落とす。そこでふと、自分が境界線の際に立っていることに気づいて
一歩後退した。
地面が擦られた音で、まだギャラクシアを持っていることに気づく。鞘に収めようと持ち上げ、
そして戦慄した。――私はこれをに向けたのだ。
「メタナイト卿…、」
後方でフームが呆然と呼ぶ声が聞こえたが、それでも感情の波は静まらなかった。
はこちらに敵意を見せなかったのにも関わらず、私は彼女を敵視し、刃を向けたのだ。
容赦はしないと言いつつも、は荒ぶる獣に制止をかけてくれたというのに。
「っ…」
後悔の念に襲われ、次いで襲ってきた喪失感を噛み締めた。
きっと、彼女は二度とこちら側に戻ってくることはないだろう。
今にも泣きそうな笑みで、それでもは決別を告げたのだから。
(
堕ちた「わたし」は一体どちら?)
09/04/27
補足:
ノクターン→剣の名前。良いのが思いつかなかった。
混血→星の戦士と魔獣との合いの子。黒翼赤目はまぁ趣味。
他→擬人化で動かしてるけど原型でも平気かなぁ。あとフームたんごめん。