死神とはいっても、人間社会で支障なく生活ができるようにと、 ある程度の自我意識と“人並み”の感情は持っている。 持っているのと露わにするのは違うのだけど、内面で起こることに変わりはない。 だから、機嫌が良いときがあるかわりに落ち込むことだってある。 同業者たちがどうなのかは「(何に対しても)深入りしない」という規律があるためよくは知らない。
けれど、「生きたい」と請う魂を狩ることは、決して気分の良いことではなかった。





「…さん?」


聞き覚えのある声に呼びかけられて、初めて制服姿で道端に蹲っていたことに気が付いた。 仕事の直後で、死神装束のままだった筈なのだけど、 無意識のうちに馴染んだ恰好に戻ってしまったようだ。 それとも、死神であることから逃げたかったのか――と、憂鬱な気分になりかけていたのを 「さん、」ともう一度投げかけられた声によって現実に引き戻された。
そこでやっと顔を上げて、視界に入った顔に眉根を寄せた。


「…古泉くん…?」
「ああ、良かった。声をかけても反応がないので、どうしようかと思いましたよ」


部活のときに見せるのと変わらない笑顔で、古泉一樹は微笑した。 ここに涼宮ハルヒがいない以上、自分を作る必要はないというのに。 それとも、これが彼の“対人用”なのだろうか。私の無邪気さがそうであるように。
彼のように「いつも」を演じる気になれなくて、 顔の筋肉になんの指示も与えないままぼんやりとただ古泉一樹を見上げていると、 安堵の微笑に少し困惑を混ぜて手を差し伸べられた。


「とりあえず、立てますか?」


言葉の意味を理解するのに暫くかかり、眼前の手の平の意図を読み取るのには更に時間を要した。 思考回路の鈍さに些かの苛立ちを感じつつ、好意は無視して一人で立ち上がる。 古泉一樹は困ったように微笑して手を引っ込めた。
――それでいい、と安堵と共に思う。 死神になんて関わらない方が良いのだから。異能者だろうとなんだろうと、生命体である以上、 命を奪う死神のことなんて放っておけばいい。 揺らいでいると頭の片隅で冷酷に誰かが言った。わかっている、そんなことぐらい。


「大丈夫、ですか?」


顔色が悪いですよ。
言われて少し目眩がするのに気が付いた。 どのくらいこんなところに居たのか、身体も冷えている。 思ったよりも体力を消費しているらしい。 家でやればいいものを、と自分の迂闊さを忌々しく思った。 そうすればこんな精神状態のときに人間と関わり合いになることもなかったのに。


「…さん。家はどちらですか?」


送りますよ。そう言って古泉一樹はまた笑った。


「なんだか今にも倒れそうだ」
「ぃ、…い、です、大丈夫、ひとりで帰れます」


動きの鈍い舌を酷使して告げ、その後に頭を下げたのが間違いだった。
ぐるぐると目眩がひどくなり、耳の裏で鼓動が響き、 地面を踏みしめて立っている筈なのにぐらぐらと不安定に世界が揺れる。 倒れる?と疑念を抱くのと、吐く、と咄嗟に思ったのは同時だった。
ただ結局は、どちらも現実になることはなかったのだけれど。


「…やっぱり送りますよ」


やけに近くで声がした。
ブラックアウトしかけた視界が鮮明さを取り戻すのと、 消えかけた意識が思考能力を再起させるのに時間が掛かって、現状の把握が遅れた。 地面が揺れるどころか、地に足が着いていないことに気づいたときには 古泉一樹はもう歩き出していて、抵抗するタイミングを完全に逸してしまっていた。







「どうぞ」


俯いた視界にミルクティーの缶が差し出されて、反射的に受け取ってしまう。 家族に迎えに来てもらうから、と私が携帯で連絡を取っている間に自販機で買ってきたらしい。 自分はコーヒーを片手に隣に座る。
最寄りの公園のベンチに降ろされるまで、結局私は横抱きにされたままだった。 そのおかげと言うべきか、自分で歩くよりは多少、身体機能の回復に余力が回ったようだ。 視界が回ることはないし、思考もさっきよりは明晰だと思う。
ほんのり熱を帯びたミルクティーの缶が、かじかんだ指先を暖めた。


「…何か、あったのですか?」


言いたくなければ無理にとは言いませんが、と柔らかい微笑で彼はこちらを窺う。
話したくないというか、規律で話せない内容というか、話そうとも思わないけれど。
ゆるく首を振って拒否すると、そうですか、とあっさりその話題は終わった。
ふと、さっきの質問は、組織の一員としてのものだろうかと考える。 仕事か、使命としてなのか、それとも同じ部の部員としてなのか。 ――どちらでも、構わないか。 投げやり気味にそう結論づけて、プルタブに指をかけた。 温くて甘いミルクティーが喉を伝って落ちていく。 なんとなく、さっきの吐き気を思い出した。


「…さん、」



古泉一樹の呼びかけに、馴染んだ声が被さった。
のろのろと視線を上げた先に、“兄”がコートのポケットに手を入れて立っている。
隣の彼に分かるように呼んだ。


「“兄さん”」
、遅くなるときは連絡しろって言ってるだろ。…悪いな、“妹”が迷惑かけて」
「いえ、そんなことは…。あの、少し体調が優れないようなのですが」
「あぁ、…人酔いか?」
「…ん」
「歩けないようなら負ぶって帰るから、心配しなくていい」


にこりと笑って、古泉一樹に帰宅を促す。 任せておけば、適当に取り計らってくれるだろう。 身体的にというより、精神的に怠くて何もしたくない。
それでも、呼ばれて少し顔を上げた。


さん」
「…、うん」
「無理は、なさらないように。…できれば、また明日」
「ぁあ、うん、…また明日」


では、と“兄”に会釈して、古泉一樹は退場した。
変わりに空いた隣席に、残った役者が腰を下ろす。


「…どした」
「…うん。ちょっと、嫌になっただけ」
「そうか」
「寝て起きたら大丈夫、…まだ、動ける」
「…分かった」


半分以上残ったミルクティーの缶を渡して、意識を閉ざす身体も預けた。
目覚めたときはいつも通り、日常に戻れるように。





未だになれぬ





11/03/14
お題:遙彼方