彼が叶うことのない恋をしているのは知っている。
永遠の片思い、といえば聞こえは良いけれど、救いようがないことに変わりはない。
彼にとって悲惨なのは、想い人が自分の身近にいるということ。
まだ遠い存在なら諦められたかもしれないというのに、手が届くところにその人はいる。
少し手を動かせば触れられる、少し腕を伸ばせば抱きしめられる、
一歩踏み出したならキスだってできるかもしれない。
不運は他にも――彼の想いが一般とはずれていること、それが周りに許容されないだろうこと、
調和を保つために自分を押し殺さなければならないこと、エトセトラ――があるのだけれど、
最たるものが、彼の想い人はこの世界の管理者に好かれているということ。
その人がいるから世界は回る。私たちがいる。
だからあの人は、近いけれどとても遠い存在という彼にとっては生殺しに近い位置に存在する。
そんな人に彼が恋をしてしまったのも、果たして神の意向か否か。
「…無理だと思うよ」
時計の針を眺めるのに飽きて沈黙を破ると、どこかを眺めていた視線がこちらに向けられた。
振り返って確認するまでもない。古泉くんはさっきと変わらない表情――
唇を笑みの形に曲げてはいるものの、笑顔には見えないやるせない顔――で私を見ている。
かろうじて口端に残った微笑も、私がいなければ跡形もなく消え失せて
物憂げなため息を吐き出すだけになるだろうことは容易に想像できた。
だからこそここにいる、というのも少なからずあるのだから。
一人にすれば何を考えて何をするかわからない。
できるだけ今の環境をそのままに、と上から言われている。
多少の規律は曲げても良い、と。やたらと掟に執着する協会にとっては珍しいこと。
「…それは『死神』としての意見ですか?」
「『』としての個人的な了見」
「…そうですか」
憂鬱。それが肩越しに見た表情にも声音にもありありと表れている。
普段は嫌というほど笑顔を振りまいている彼の、偽りのない素顔。
どうだろう、これが少女漫画のヒロインなら「私が癒してあげる」とでも言うのだろうか。
もしも古泉くんにそんなことを言える子がいるのなら、
ぜひともその脳天気な陽気さをわけてもらいたい。そうすれば少しは気が晴れる。
彼を癒すどころか、慰めることさえ不可能なことを私は知っている。
知らなければ良かったのだろうか。お気楽な少女のままであったなら。
そうすれば彼の歪みに気づくことはなかっただろう。拗れた感情に嫌気が差すことも。
そう、知らない方がきっと「幸せ」。
「貴方は否定しないんですね」
「する理由がないから」
誰かを好きになるのには、自分と相手の存在以外何もいらないのだから。
――そう、自分と、相手以外。
周りの環境なんて視線なんて噂なんて世間体なんて見栄なんて理性なんて立場なんて建前なんて、
そんなものいらない筈なのに。
なのにどうして、縛られてしまうのだろう。
「…哀しいね」
何年か振りに、少し泣きそうになった。もしかしたら泣いていたのかもしれない。
彼の視線は感じていたけれど、ただ私は暮れ行く空を眺めていた。
暫くしてから、そうですね、という彼の呟きが耳に届いた。
心がひどく震える
09/05/19
お題:
遙彼方
背景素材:
戦場に猫