雑貨店から出ると、外は雨だった。
ち、と軽く舌打ちをしてどうするかを考える。
濡れて帰るには少し遠い。だが、わざわざ傘を買うほどの雨量ではない気がする。
誰かに迎えに来させるか、ともちらりと思ったところで、「妖一、」と声を掛けられた。
淡いブルーの傘を差したが、ぱしゃぱしゃと水音を立てながら小走りで駆け寄ってくる。
笑みを浮かべたまま、はい、と黒い俺の傘が差し出された。
「濡れなかった?」
「ああ」
確認の問い掛けに短く答えて、礼の代わりに頭を少し乱暴に撫でる。
の髪は、染めているわりには滑らかで指通りが良い。
へへ、と笑ったの、ふにゃりとした馬鹿のように見える笑顔は嫌いじゃない。
ぱん、と音を立てて傘を開く。歩き出すと何も言わなくてもは大人しく付いて来た。
暫くすると雨は小降りになり、五分も経たないうちに止んだ。雲の切れ目から青空が覗きさえする。
迎えに来させるまでもなかったか、と思ったものの俺が呼び付けたわけではなく、
何より当のは気にした風もなく閉じた傘を片手にのんびりと歩いているので、
口にはしないことにした。
に向けていた視線を前に戻して、どうでもいいようなこと、
例えば今日の夕飯なんかのことを考える。確か麻婆豆腐だった筈。豆腐を買いに行くとも言っていた。
そんな感じで明後日の晩まで推測したところで、つと左袖が引っ張られた。
振り向くと、やや上目遣いで許可を求めるようにが見上げている。
無言でいると、駄目?と問うように首を傾けた。
袖を掴む手を外し、代わりに左手を添えてやると安心したように指を絡める。
たったこれだけで頬を緩ませるは単純だなと少し思った。
「麻婆か?」
「ん、うん。麻婆豆腐」
ゆるやかに頷いたあと、麻婆って変だよね、と呟く。漢字なのに長音符入ってるんだよ。
適当な相槌を打ってもは特に気にしない。
元々そんな性格なのか、それともただ慣れたか諦めたかしただけなのか、
俺にそんなものを求めていないのかは憶測の域を出ないが。
それでもまあ、推察は間違ってはいないと思う。は俺がすることなら全てを許容するのだから。
相槌どころか反応すら返さなくとも言及することなはいだろう。
「聡い奴だからな、は」いつかの武蔵の台詞を思い出す。
そう、聡いから、だからこそ鈍感なふりもできる。
平気そうな面の、どこまでが本物か。一度泣きわめくまで自身をさらけ出させたいと思いつつも、
そんな自分の我が侭さ加減に辟易する。俺が作らせた仮面を俺が引っぺがしてどうする。
その後どうなるか、予想がつかないというのに。
「妖一、」
控え目に声を掛けられて現実に意識を戻した。
何事もなかったかのように目の前にあったドアノブを掴み、家に入る。
靴を脱ぐときすでに、作りかけの夕飯の匂いがした。
たまには手伝ってやればいいだろうか、とちらりと考えてはみるが、
すぐに未整理のデータ処理に忙殺される。
それでも、自分がそこまでアメフトに専念できるのはのおかげだろうと、
らしくないが少しばかり感謝はしてみることにした。
「」
「ん、」
キッチンに行こうとしていたを呼び止めて、振り返ったところに軽いキスを落とす。
微かに触れてすぐに離れたそれを認識するのに若干のタイムラグがあり、
間を空けてからやっと目を瞬かせて、それから少し赤くなった。
その様子に口端をつり上げ、髪を掻き回すと「にー…」と力無く鳴いて、
ふと俺を見上げると照れ臭そうにはにかんだ。
09/08/12
お題:
赤小灰蝶
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ふるるか