「きらい!」



彼女が発した声は上擦っていて、らしくないなと振り乱した髪と併せて考えた。
もっと言葉を選べる子だと思っていたのに、もっと心を抉るような、もっと胸に突き刺さるような、 もっと思考を麻痺させるような、そんな言葉を捻り出せる子じゃなかったかと頭の片隅で いやに冷静に考える。そして自分を嫌悪した。
握った拳は震えていて、あぁきっと爪が食い込んでいるだろうなと思う、 噛み締めた唇は色を失っていて、その内真っ赤な血で染まってしまいそうだと心配になる、 俺を睨み上げる瞳はいつもより遠のいて、必死に虚勢を張っているような、そして実際にそうなのだと、 彼女が数秒おいて再び口を開いた頃に理解した。



「フランシスなんか大ッ嫌い!」



言葉を紡いだ唇には僅かに赤が滲んでいて、やっぱり噛み切ったかと思う反面脳の大部分は今彼女が 言った内容を理解しようとしている。それを無理やりに止めて(嫌な予感がする)、彼女に向かって 瞬く。それをどう捉えたのか、ひきつれた吐息を一つ洩らして呼び止める間もなくは行って しまった。いや、それとも、俺の反応が遅かったのか。バタンと扉の閉まる音がやけに耳についた。



…?」



自分でも間抜けだと思う声が一人きりの部屋に響いて、咄嗟に持ち上げた手が所在なく宙を彷徨う。 足音が段々遠ざかって行って、聞こえなくなってから追いかければ良かったのかも知れないと後悔した。 ここは彼女の寝室なのにどこへ行ったのだろうか、待っていれば帰ってくるのか、あれ、そもそも何で 出て行ったんだ、と焦点のずれたことをつらつらと考えて、時計の秒針がぐるりと一周した辺りで やっと思考を本筋に戻した。それでもまだ靄がかかったように噛み合わない。
俺、何か、言ったっけ(思い出せない)。それとも、何か、したのか(わからない)。
さっきは何て言った?



「…“きらい”…」



Je vous deteste.


口の中で転がして、さっきのように時間差で理解して、愕然とした。
あぁ、そうか。は俺が嫌いだって言ったのか。彼女は的確に、俺の心臓を貫く言葉を発したのか。
笑おうとして、頬が引きつった。そのまま彼女のベッドに倒れ込むと、喉の奥から引きつれた吐息が 洩れた。もう二度と口を利いてくれないかもしれないと悲観的に考えると、本気で泣きそうになった。







触れたのは残像

伸ばした手は、届かない





07/12/07
お題:遙彼方